介護のはなし

認知症でも…

2020年5月11日

緊急事態宣言が5月末まで引き延ばされ、
外出がままならない中、
GW明けに横浜の実家へ行ってきました。

 

といっても、母は特養に入所しているし、
父は入院中で実家は今誰もいないのだけど…

 

今回は父の退院後をどうするかの相談と、紹介された老健の見学。

そして退院して特養に戻った母に会いに。

 

 

父の入院の原因は、食中毒”(-“”-)”
カンピロバクターだったんだけど、家で倒れていて丸1日発見されず…だったので救急車やパトカーが出動する大騒ぎだったんです。

2月に入院し、もういつでも退院してもいいんだけど、退院しても一人暮らしは難しく、コロナで訪問系の介護サービスも難しく、とりあえずコロナが落ち着くまでは老健に入っては…と紹介されたところ。

 

私は遠方なので、実質動くのは近くに(といっても車で30分)住む妹なのだけど、今回は母のこともあって、一緒に見学&今後のことも相談したほうがいいかなと。

 

結論から言うと、紹介された老健はイマイチで、父には無理だろう…ということで、在宅に向けてもう一度ケアマネさんと相談していくことになりました。

 

母については、年明けに入院していたのだけど、認知症も進んで治療も積極的にしないという方向になったので(抗がん剤などでつらい思いをさせないほうがいいだろうと)、特養にもどってきました。

 

本来は今の時期(コロナで)来訪者の面会はすべてダメなんだけど、終末期の特例ということで、20~30分ほど面会ができて。
でも、もちろん会話もできないし、誰かもわかってないと思うけど、私と妹の会話をじっと聞いてる感じはしたんだよね。

私と妹は年子で、子どもの頃結構仲良かったから。
その時の風景を思い出してくれてるんじゃないかなーなんて思った。

帰り際、母は部屋へ戻るとき、私たちが「バイバーイ、またね!」と手を振ったら、ゆっくり右手を挙げたの!妹と「手を振ってるよー!」て驚いた!

 

認知症で全てわからなくなっても、どこかで時々フッとよみがえることがあるんじゃないかなーと思った出来事でした。

自分が親になって思うのは、たとえ認知症で子どもの顔がわからなくなっても、親の子を思う気持ちってやっぱり残るんじゃないかなーって。

 

なんか書いてて泣けてきた。。。

 

早くコロナが落ち着いて、遠慮なく行けるようになるといいなぁ。。。

 

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いろいろありすぎた12月

2020年1月8日

前回からまた半月以上あいてしまったブログ…

本当にいろいろありすぎて、PCやスマホに向き合う時間、SNSやブログも見る時間もなかった。。。

義母が転倒骨折して手術したことは前回書いたかな?

入院してる間に、自分の引っ越しもあり(この引っ越しがまた色々あって”(-“”-)”)

 

引っ越しの1週間後に義母の退院。

サ高住に戻ったのが12/21

 

入院で完全に筋力が落ち、自立歩行が難しくなってるので、

基本的に移動の時は見守りや介助が必要で。

なのにどれだけ言っても勝手に動いちゃう。。。

 

クリスマス以降は、例年和菓子屋のパートで年末年始は一番の繁忙期。

 

頼むから平穏無事に。。。の願いもむなしく、12/29夜連絡があり、転倒して動けなくなっているので救急車を呼ぶのですぐ来てくださいとのこと。

できれば手術してもらった伊丹病院にお願いしたいと、救急で電話するも、整形外科医がいないので受け入れはできないと断られ、救急車の中で待つこと30分以上。

結局尼崎の救急を受診できたのが夜12:00。

脱臼だったので、処置はすぐだし、はまれば「帰ってください」なので、サ高住に帰し

くれぐれも動くときは施設の職員さんを呼ぶように、とお願いして家に帰ったのが夜中1:30。

30~31は一年で一番忙しく仕事は休めない。

 

私も精神的にけっこうぎりぎりだったので、海外にいる夫に「頼むから帰ってきてほしい」とお願いし、31日夜に帰国。

 

そして何事もなくお正月休みは過ごしたいとの願いもむなしく、

1/2夜にまた施設から連絡があり「転倒しました」

そしてまた救急搬送。

今回もなかなか受け入れ先が見つからず(伊丹病院も前回の関西労災病院もNG)、やっと搬送された病院も年始ということで大混雑。

 

家に帰ったのは夜11:00過ぎ。

さすがの夫も「こんなに大変だったのか…」と。

義母は「うまくいくとき(一人で動けるとき)もあるのよ」「今回は失敗しちゃった」「(施設の職員さんのことを)この人一番怖いからねー」「頭ではわかってるの。でもできない(動いちゃう)のよ」等々…全く他人事で反省の色も見えず、ついに夫はキレる。

 

とにかく休み明け朝いちに、伊丹病院を受診しないといけないので、介護タクシーを手配。

 

休み明け1/6に伊丹病院を受診し、「(脱臼防止の)装具を作りましょう」「装具ができるまでの間入院しますか?」と神の声♥

もう、いつ呼び出しがあるか…と気が休まるときがなく、夜もあまり眠れなかったので、本当に神の声に聞こえたわ~♥(主治医のイケメンドクターがさらにレベルUPして見えたわ)

 

で、退院後のことも、このままでは装具を着けてたとしても転倒を防ぐのは難しいので、リハビリのできる病院に転院させてほしいとお願いし、ケアマネさんも動いてくれて宝塚のリハビリ病院に転院の方向で話が進む。

最初の退院前に、「早く帰りたい」「リハビリ病院には行きたくない」という本人の希望だったので、そのまま受け入れたのは本当に失敗だったなと思う。

 

そして、今回のことでさすがに夫も「早く日本に戻らないといけない」と実感したのではないかと思う。

 

嵐のような1カ月、気が付くと年が変わっていた…という日々だったけど、なんとか病気もせず乗り切れて、健康な自分に感謝だわ。

 

精神的にいろいろしんどくて「このまま雲隠れしたい」「音信不通になりたい」なんて思っていたけど、

グチを聞いてくれた友人や、

引っ越しや1/2の搬送時にいてくれた娘や、

休みにもかかわらず動いてくれたケアマネさんや、

相談に乗ってくれた伊丹病院の看護師さんや、

年明けの受診時に優先して順番をまわしてくれた受付の人などなど。。。

たくさんの人に助けられて本当に感謝です。

かかえこまずに発信する、ダメ元で言ってみる、ということが案外いい方に事態は動くんだなと思えた1カ月でした。

 

まだまだ続く。。。。

 

 

 


義母の骨折

2019年12月9日

2019年の締めくくりも、ハプニング色々…のお話です(^_^;)

 

11月末のjweleのイベントが終了すると、引っ越し関係のことを進めていこうと思っていたところで、現在サ高住に居る義母が骨折するという事件がおきました(>_<)

11月末に「転倒した」という連絡があり、でも動いているから打撲かも…ということで。。。

食欲もあり、痛みを訴えるでもなく(動くと痛いとは言っていたけど)、結構元気だったのです。
なんとか時間が作れた金曜午後診で整形外科を受診。そこで「右足付け根の骨折」が判明しました。

 

その時点で夜7:00。時間外なので、紹介状を書くから月曜(12/2)朝いちで市立伊丹病院を受診してくださいということで、土日はサ高住で過ごしてもらい、月曜に介護タクシーを手配して受診。

市民病院だから長時間は覚悟していたけど、朝8:30に受付してから、検査~入院で病室に落ち着いたのが午後3:00頃。

待ち時間の長さに「ワーッ!!!!!」と叫んで走り回りたくなったわ(←大袈裟じゃなく、ホントに。。。(^_^;))

 

待ってる間も、あっちへ行って手続き、こっちへ行って説明と確認、書類記入も多く、またケアマネさんや施設に電話したり。。。

これ、家族とかつきそえる人いない場合って、どうするんだろう。

 

検査と受診後も、「明日は担当医から検査結果と説明があるから5:30に来てください」とか「明後日は麻酔科から説明があるから3:00に来てください」とか「手術は水曜日なので2:00にはきてください」とか。。。(毎日?説明って、一度にやってくれー!!!)

手術後はすぐリハビリが始まるけど、一日30~1時間くらいだから、できるだけ家族の方が毎日来て、動く練習をしてください…とか。

 

病院も片道車で30分かかるのに、毎日って無理でしょう(>_<)

世の中そんなに時間に余裕がある人がどれだけいるの?

しかももうすぐ引っ越しで、準備や決める事、リフォームのことetc、山積みなの~!!!

 

 

身体はひとつしかない、できる事は限られる。。。

ああぁ。。。もう一人、分身がほしい。。。

 

 

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介護のはなし④~明るい光がみえてきた?~

2019年1月2日

義母のサ高住での生活も4ヶ月を過ぎました。

 

退院後、歩けなくなって生活全般に介助が必要になってからどうなることかと思っていたけど、
サ高住の職員さんのきめ細かい支援のおかげで、どうにか立ち上がりはできるようになり、
車いすからの移乗もできるようになって、まだ見守りは必要ではあるけどトイレも自分でいけるようになったのです。

そして食事介助なしで、自分で食べれるようになり、ご飯もほぼ8~9割食べれるようになってきました。
ものすごい進歩です!

 

前回も書いたけど、生活すべてに介助を入れるととても単位数が足りなくなるわけで、区分変更はかけたけど、認知症は全く問題ないのでおそらく介護度を上げるのは難しいんじゃないかなと思う。

 

だからはっきりとお金の話をしました。

「ここの住居費含めて介護保険を使って今だいたい20万くらいかかってるけど、それは1割負担での金額だから、介護保険をオーバーした分は10割ですべて自己負担になる」「この生活が続くと、介護保険の単位数をオーバーして、30万以上かかるようになる」と。

「だから、せめてトイレが1人で行けるように、ご飯も一人で食べれるようになってください」と。

理屈っぽい義母なので(^^;;;)、きちんと説明したら納得すると思ったのです。

 

それを理解してくれたのかどうかはわからないけど、自分で動かなきゃいけないと少しは思ってくれたみたいで。

もちろん気分のムラはあるから、歩行器の練習は相変わらず嫌がるし、「車いすが楽だから」と移動は相変わらず車いす。

 

それでも行くたびに、少しずつ活力が出てきてる姿を見るとホッとするのです。

血圧も安定してきて、眠剤その他色々飲んでいた薬が全て無くなり、「夜もよく眠れる」と言ってる。「ここに居たら心配なことが何もないから」と。

その言葉を聞いただけで、今までの大変だったことがすべて溶けていく気がしました。

 

まだまだこれからもいろんなことがあると思うけど(若返ることはないからねー(^_^;))

自分の老後を考えさせてくれるいいお手本になってもらってると、全て自分の肥やしにしていこうと思うのです。

 

 

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介護のはなし~入院そして退院後~

2018年12月7日

「介護のはなし~サ高住での生活~」の続きです。

 

11月に入ったある日、尿路感染による熱発(39度超え)で緊急入院となりました。

絶食、寝たきりで点滴のみが3日間。

「これは本当に歩けなくなるな…」と覚悟しました。

事実、ベッド上でオムツの入院生活。

 

点滴がはずれてからは、おかゆや刻み食などが出るようにはなったけど、動くのもベッド横にポータブルを置いて全介助でトイレに行くくらい。

入院期間中は、2日に1回くらい病院に行っていたけど、つじつまの合わない、意味不明なこととか言うようになってくるし。これは早く退院させないと大変なことになるなぁと。

 

実はそれだけじゃなく、主治医が頼りなくて…(^^;)

私的には、この主治医とは早く縁切りたいと思ったのも理由のひとつ。

 

 

10日間の入院生活を経て退院したけど、案の定まったく歩けなくなってしまった。

 

ケアマネさんがいろいろプランを練ってくれて、訪問リハいれたり、デイを増やしたり、朝夕のトイレ介助とか、あれこれ考えてくれたけど、これを全部入れるととても単位数が足りない!!!

私も介護保険の事務職をやっていたので、そのへんの事情はよくわかるけど、これはもうケアマネさんにお任せしよう^m^

 

でもね、退院して施設に戻ったとき、出迎えてくれた職員さんやデイに参加してる人たちから

「おかえりー」「よかったね」って言って歓迎してもらえたり、ハイタッチする姿を見たら、それまでプレッシャーで押しつぶされそうだった心が、なんかフッと軽くなったんです。

「あ、やっぱりここでよかったなぁ…」って。

 

このサ高住は少人数で(全部で19室)、職員さんも一人ひとりきめ細かく見てくれる。

人数が少ないってことは、関係が密になるから、合わないとつらいけど合えばとても居心地よくなるはず。そう思って私はここがいいと思ったことを思い出した。

実際今回の熱発→救急搬送も、もし京都で一人暮らししていたら誰にも発見されず、もしかしたら死んでいたかもしれない。ここに居たから大事に至らずにすんだんだと。

 

義母が馴染むか馴染まないかは、私の責任ではなく、義母自身の問題。

私が無理矢理押し込んだわけじゃないんだし。

 

そう思えるようになったのです(^^)

 

 

ただ食べないのは相変わらずなんだけど、職員さんの話によると、「ついて食べさせてあげると食べるんですよ」と。

確かに1年くらい前に右腕を痛めてから、右腕が上がりにくく食事をするのも左手で右手を持ち上げて助けてあげながら…という感じなんだけど、京都で受診したときは湿布と痛み止めくらいで「何もすることはない」と言われたからそのままにしていた。

食べれないくらい上がらなくなってるなら、なぜそう言わないんだろう。
「力が入らない」とは言うけど、「だから食べられない」とは言わない。

あれこれ先回りして気持ちを汲んで動くのは本当に疲れるんだよー(._.)

黙ってたってわかんない。超能力者じゃないんだからね(ってグチる。。。)

 

まだまだ続く。。。


介護のはなし~サ高住での生活~

2018年12月6日

しばらくぶりの介護のお話です。

京都のマンションに一人暮らしをしていた義母(84歳)が、入院を経て8月末に伊丹市のサービス付き高齢者住宅(以下サ高住)に移って、約3カ月半が過ぎました。

3ヵ月半!

今書いててビックリしました。まだ3ヵ月半だったんだ!

なんかもう半年以上過ぎてるような気分だったので。。。

それぐらいいろんなことがあって、走り回ってて、密度の濃い月日だったのかなぁ。

 

義母は入居当初は「結婚式出席」という目標があったからか、杖をついてしっかり自力歩行ができていました。食事も出された半分以上は自力で食べていました。
ところが、結婚式が終わり、今のところで日常生活がスタートすると、みるみるうちにレベルが落ちていったのです。

まず動かなくなった。一日ベッドでTVをぼんやり見る→寝たり起きたり→動かないから食欲もない→食べない→体重が減る→筋力が落ちる→ますます動かない…の悪循環のループ。

最初のうちは「新聞が読みたい」「裁縫道具がほしい」「牛乳がほしい」等々、何かしら要求があったのに、今では本当に「何もいらない」状態。

京都で一人暮らししてた時は30分サーキットの「カーブス」に入会していたくらい、元々体を動かすのが好きな人だったのに、まるで別人になってしまったのです。

 

サ高住でやってるデイサービス以外に、リハビリに特化したデイなども体験させてもらったりしたけど、「疲れる」と言って行きたがらない。もうどんどん無気力になっていくし歩けなくなっていく。

何か要求や不満などを言ってもらえれば、こちらも動きようがあるけど、不満も要求もなにも言わない。とにかく食べないからどんどん体重は減り、入居してからたぶん5キロ以上減ったんじゃないかなぁ。

 

本当はここが嫌なんじゃないか、京都に戻りたいんじゃないか、サ高住じゃなくてセレブな有料老人ホームで暮らしたほうばいいんじゃないか(もともとセレブな人なので)、食事が口に合わないけど美味しくないって言えないからお腹すかないって言ってるんじゃないか、私がここを勧めたから(もちろん本人も見学して納得して入居したけど)しょうがなく入ってるんじゃないか。。。

いったいどうしたらいいんだろう…と、私もマイナスループにはまり込んで悩んでしまいました。

 

 

ケアマネさんもあの手この手で義母に色々聞いてくれるけどなかなか本心がつかめないみたいで。

「りえさんのせいではない。りえさんが責任を感じることはないよ。」と言ってくれたけど、夫が居ない中でほぼ全部を私が動かしていたということもあって、変にプレッシャーを感じてしまっていたのです。

 

そして11月に入ったある日の朝、施設から「高熱で救急搬送したので、すぐ病院に行ってください」との電話が。

尿路感染による熱発で市立伊丹病院に入院することになりました。

 

~つづく~

 


神前

2018年10月1日

少し空きましたが、どうにか「サ高住(サービス付き高齢者住宅)」に転居し、なんとか8/25の結婚式を迎えるにいたった経緯を書きました。

※参考介護のこと①」「介護のこと②

 

8/25の結婚式は午後からだったので、私は着付けなどあるので先に電車で向かい、

夫と息子が義母を迎えにいって車で式場まで行く…という段取りですすめました。

 

ただ、式場まで車だと1時間以上かかるのと、式から披露宴終了まで約5時間ほどあるので

ずっと座りっぱなしで大丈夫かなぁというのが一番の懸念事項でした。

 

結果的には全く問題なく、しゃんとして最後までとどこおりなく進行しました。

だた、施設にもどったのが夜10時くらいで、本当に疲れたと思います。

 

その後。。。

不安は的中し、ほぼベッドで寝たり起きたりの生活に逆戻り。

長時間の移動や座位がきつかったと思います。

張りつめていた気持ちが切れたのかもしれません。無気力でご飯もすすまず、背中や足腰の痛みを訴え、何もする気が起きないような状態。

 

 

そして今・・・

無気力な状態はかわらず、ご飯もすすまず。
同じ施設内でやってるデイサービスにはなんとか行ってくれてるけど、途中で部屋に帰ってきてしまうこともある。
毎日測っていた血圧も測らなくなり、自分から動くことはなく一日テレビとお友達。

誰かが来た時に「あれとって」「これやって」とお願いする状態。

 

私も週3~4回訪問しているけど、ますます無気力になっているのがわかる。

 

やっぱり環境が変わったのがよくないのか、この施設が合わないのか、でももう行くところないから…とあきらめて我慢してるのか。

やっと1ヶ月。もう少し様子をみる必要があるし、結論だすのは早いけど、こんな状態ならサ高住じゃなく、介護付き有料老人ホームのほうがよかったのかも…と悩む日々です(;O;)

 

ケアマネさんにも相談して今後のことを考えていこうと思いますが…

義母にとって、最期に「ここにきてよかった」と思えるような生活を送ってもらえたらなぁと思うのです。そのためには私に何ができるのか…悩む日々です。

 

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介護のこと②

2018年9月4日

「介護のこと①」で、特養ショートを退所後入れるところを探してることをいろいろ書きましたが、介護についてちょっと詳しい方は「あれ?ケアマネは何してんの?」って思った方もいますよね(^^;)

私もこんな遠方でひとりで走り回ってるのに、もう少しケアマネが動いてくれないかなぁと正直なところ思いました。

要支援のときについてたケアマネさんはつきあいも長く、本当にいろいろ動いてくれてアドバイスもらったり、まめに電話もくれてとても助かっていたのだけど、今回の入院で区分変更をかけて要介護2がついたので、ケアマネが変わりました。

特養にいられるのは8/24までだからと、必死で探しているのに、施設の情報をくれるわけでもなく、ただケアプランをもってきて「印鑑ください」。

私が特養に行くときに合わせてただ面会にくるだけ。
宝塚に呼び寄せたい意志を伝えていたけど、県がまたがるとこんなもんなのかなぁ。

悪い人ではないけど、ケアマネの仕事してないよね…と時間がたつほどにそういう思いが強くなり、もう私が動くしかないと。
あとから思えば、私ももっと要望すればよかったのだけど。

 

話がずれたけど、有料老人ホームだけでなく、サービス付き高齢者住宅(以下「サ高住」)も探し始めました。

で、何か所か見学に行き、実際住むのは義母なのでここは無理してでも実際見てもらうほうがいいと、お盆の頃無理矢理夫に帰ってきてもらい2か所見学に連れて行ってもらいました(私は仕事でした(^^;))

それにしても「サ高住」も施設によって色々で、介護付き有料老人ホームに近いようなところから、24時間の見守りはあるけど基本的には自分でできる範囲はする…というところも。

 

今回入ったところは後者のほうで、少人数(16部屋)のアットホームな施設です。

特養を退所前には、随分動けるように回復していたし、ホテルや病院みたいに何もかもしてもらうよりは、ミニキッチンもあり、洗濯機や冷蔵庫を置くところもあって、ワンルームマンションみたいな感じで、出入りも自由。部屋に鍵もついてるし、病院みたいに夜中に3回も部屋をのぞきにくることもないのがいいなと。

同じ市内ではないけど車で15分ほどの隣市なので、すぐ行けるのがホントにありがたい!

 

決めたのが特養退所の1週間前で、無理矢理頼み込んで23日に入居させてもらえました。

この日は、朝から京都のマンションで最低限の荷物を詰め込み、特養に義母を迎えに行き、結婚式出席のため北海道から息子が帰ってくるので飛行機が着く時間に合わせて空港まで迎えにいって、そのままサ高住への入居を手伝ってもらいました。

翌24日も、もう一度京都のマンションに追加の荷物を取りに行き、転出の手続きをしたり、夕方夫が帰ってくるので迎えに行ったりバタバタで、本当に明日結婚式?っていう感じ(^^;;;;;)

 

義母は杖なしでも移動できるくらいに回復し、これなら結婚式もなんとかなりそうだとちょっと安心。

 

そしてようやく25日を迎えることができたのです(*^^*)

 

この話はまだまだ続きます~

 


介護のこと①

2018年9月2日

7月~8月は、ものすごい暑さの中、ものすごく動き回った2カ月でした。

義母が入院したあとの経緯です。長いので2回に分けて書きます。

(過去の関連記事「ああ、現実逃避したい。。。」)

パンや発酵の話は全くでてこないので、興味のない方は飛ばしてくださいねー(^^;)

 

特別養護老人ホーム(以下「特養」)のショートステイの期限が8/24に迫り、それまでにできれば宝塚近辺で入れるところを探したいと、地域包括支援センターに相談したり、あちこち資料を取り寄せて見学に行ったりしたんだけど、特養や老人保健施設(以下「老健」)はどこも満室。

そして有料老人ホームも「ここは」と思う所はどこも空き待ち状態。なにしろこの夏は酷暑で高齢者を一時的にでもそういうところに入れようと思う人が多いらしい。

 

特養が8/24までで、もしそれまでに宝塚近辺に見つけられなかったら、8/23に京都の老健は入れるということなので、行くところがないわけではないけど、

そうなると、娘の結婚式が8/25なので、23に老健に移動し、25の朝に京都に迎えにいって、神戸の式場につれて行き、25は披露宴か20:00終了だから、それからまた京都まで送る…

というのがとてつもなく大変だというのは想像できるから(だって花嫁の両親だよ~💦💦😫)

 

できれは結婚式前に宝塚近辺に決めたかったわけです。

夫は単身赴任中で全くあてにできないし、精神的プレッシャーで眠りは浅くなるし…

 

特養に入ってみて、義母は「ここは自分の居るところではない」「早く出たい」と。特養って介護度が重い人が多いからしょうがないよね。
同じように、民間の有料老人ホームも(私が見たところは)どちらかというと要介護2~3くらいの人が多く、車椅子で生活し、生活全般において介護が必要な人が多い印象。

そして夜中には2~3回の各部屋見回り。

 

入院する前まで要支援1だった義母には「そこまでしてもらわなくても…」という思いもあり、もう少し自立度が高いところがいいかなと、少し範囲を広げて「サービス付き高齢者住宅」(以下「サ高住」)も当たりはじめました。

 

介護のこと②につづきます。。。

 


あぁ…現実逃避したい…

2018年7月31日

今日はちょっとプライベートな話です。

京都に住む1人暮らしの義母が入院しました。

義父が早くに亡くなって20年以上頑張って一人で暮らしてきた義母も、ここ数年足腰が弱り転ぶことが多くなってきたところだったけど、それでも電話では「大丈夫」「なんとかやれてるから」と弱音を吐かず元気な声で答えていた。

そんな言葉をうのみにし、夫も長期不在(海外単身赴任)だし、私も教室運営でいっぱいいっぱいだし…と甘えてしまって、結局何かことが起きないと動き出せなかった。

今回も転んで入院だったけど、検査の結果特別問題はなかったので一安心。

でもこの酷暑の中一人暮らしの家に帰すのはとても心配だし、本人も「自信が無い」ということで、もう少し動けるようになるまで、どこか施設に入ってもらうことになった。

 

ここ2週間は、病院の往復(なにしろ夫が不在。ちなみに一人息子)、ケアマネさんとの面談や施設の調整、見学などで京都を往復する日々。電車で1時間半だけど、早ければ車で30~40分、それでも片道50キロの往復は、レッスンの合間やレッスン後に動くのはかなりハード(^^;)

それでもなんとか入所先が決まり、1ヶ月の短期で特養のショートで入れてもらえることになった。

 

スタッフの方もいい方が多く、なによりいつも見守ってもらえるのはとてもありがたい。

それでも1ヶ月。

 

不在の家の郵便を定期的にとりに行ったり、通販の定期購入(買い物好きで消費しきれない健康食品が山ほど…)、読んでない定期購読の雑誌、全く使ってないインターネット契約その他をストップしたり、とにかく部屋が大変な状態になっているので片付けないといけなかったり、まだしばらくは2~3日に1回は行かないといけないわけで。

 

そして1か月後に入れる場所を探さないといけない。

 

家に帰って一人暮らしはおそらく難しい。

「家に帰っても誰も待ってない」「一人で暮らすのは不安」などなど、言葉の端々で「一人はもうイヤ」というのが見え隠れする。

そりゃそうだよね。

 

そしてこの夏、娘の結婚式と入所先探しで私は走り回ることになりそう…(-.-)

 

横浜に住む実母(認知症で要介護4)や一緒に暮らす父のことも気がかりだけど、遠方ゆえすっかり妹におんぶにだっこ。かなり負担をかけてるけど、なにもかも背負込むと自分がダウンしてしまうのでもう割り切るしかない。

 

海外にいるのでやむを得ないし、忙しいのは十分わかっているけど(ストレスで蕁麻疹ができている)、いつも肝心なときに不在な夫。

あと1年半後に帰ってきたら、犬の世話も含めていろんなことやってもらうから覚悟しといてね。

 

それにしても家周辺5キロ圏内と京都往復しかしてない日々。

あぁ…温泉行きたい。