宝塚の発酵教室 こむぎ

ブログ
BLOG
ホーム
>
ブログ
>
いろいろありすぎた12月
サムネイル

いろいろありすぎた12月

2020.01.08

前回からまた半月以上あいてしまったブログ…

本当にいろいろありすぎて、PCやスマホに向き合う時間、SNSやブログも見る時間もなかった。。。

義母が転倒骨折して手術したことは前回書いたかな?

入院してる間に、自分の引っ越しもあり(この引っ越しがまた色々あって”(-“”-)”)

 

引っ越しの1週間後に義母の退院。

サ高住に戻ったのが12/21

 

入院で完全に筋力が落ち、自立歩行が難しくなってるので、

基本的に移動の時は見守りや介助が必要で。

なのにどれだけ言っても勝手に動いちゃう。。。

 

クリスマス以降は、例年和菓子屋のパートで年末年始は一番の繁忙期。

 

頼むから平穏無事に。。。の願いもむなしく、12/29夜連絡があり、転倒して動けなくなっているので救急車を呼ぶのですぐ来てくださいとのこと。

できれば手術してもらった伊丹病院にお願いしたいと、救急で電話するも、整形外科医がいないので受け入れはできないと断られ、救急車の中で待つこと30分以上。

結局尼崎の救急を受診できたのが夜12:00。

脱臼だったので、処置はすぐだし、はまれば「帰ってください」なので、サ高住に帰し

くれぐれも動くときは施設の職員さんを呼ぶように、とお願いして家に帰ったのが夜中1:30。

30~31は一年で一番忙しく仕事は休めない。

 

私も精神的にけっこうぎりぎりだったので、海外にいる夫に「頼むから帰ってきてほしい」とお願いし、31日夜に帰国。

 

そして何事もなくお正月休みは過ごしたいとの願いもむなしく、

1/2夜にまた施設から連絡があり「転倒しました」

そしてまた救急搬送。

今回もなかなか受け入れ先が見つからず(伊丹病院も前回の関西労災病院もNG)、やっと搬送された病院も年始ということで大混雑。

 

家に帰ったのは夜11:00過ぎ。

さすがの夫も「こんなに大変だったのか…」と。

義母は「うまくいくとき(一人で動けるとき)もあるのよ」「今回は失敗しちゃった」「(施設の職員さんのことを)この人一番怖いからねー」「頭ではわかってるの。でもできない(動いちゃう)のよ」等々…全く他人事で反省の色も見えず、ついに夫はキレる。

 

とにかく休み明け朝いちに、伊丹病院を受診しないといけないので、介護タクシーを手配。

 

休み明け1/6に伊丹病院を受診し、「(脱臼防止の)装具を作りましょう」「装具ができるまでの間入院しますか?」と神の声♥

もう、いつ呼び出しがあるか…と気が休まるときがなく、夜もあまり眠れなかったので、本当に神の声に聞こえたわ~♥(主治医のイケメンドクターがさらにレベルUPして見えたわ)

 

で、退院後のことも、このままでは装具を着けてたとしても転倒を防ぐのは難しいので、リハビリのできる病院に転院させてほしいとお願いし、ケアマネさんも動いてくれて宝塚のリハビリ病院に転院の方向で話が進む。

最初の退院前に、「早く帰りたい」「リハビリ病院には行きたくない」という本人の希望だったので、そのまま受け入れたのは本当に失敗だったなと思う。

 

そして、今回のことでさすがに夫も「早く日本に戻らないといけない」と実感したのではないかと思う。

 

嵐のような1カ月、気が付くと年が変わっていた…という日々だったけど、なんとか病気もせず乗り切れて、健康な自分に感謝だわ。

 

精神的にいろいろしんどくて「このまま雲隠れしたい」「音信不通になりたい」なんて思っていたけど、

グチを聞いてくれた友人や、

引っ越しや1/2の搬送時にいてくれた娘や、

休みにもかかわらず動いてくれたケアマネさんや、

相談に乗ってくれた伊丹病院の看護師さんや、

年明けの受診時に優先して順番をまわしてくれた受付の人などなど。。。

たくさんの人に助けられて本当に感謝です。

かかえこまずに発信する、ダメ元で言ってみる、ということが案外いい方に事態は動くんだなと思えた1カ月でした。

 

まだまだ続く。。。。

 

 

 


トップへ戻る